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無縁社会|無縁死

少しばかり話題から遅れた話しを。

先月末にNHKスペシャルで放送された『無縁社会~無縁死、3万2千人の衝撃』。録画してあったのをやっと見ることが出来た。

とても重く、そして長い長い1時間だった。

“行旅死亡人”としてほとんどの人が見ない官報に載せられる記事。
亡くなったとき(孤独死)と同じまま残された部屋を片づける業者(ビジネス)。
身内からも引き取ってもらえない遺体や遺骨。
死して寂しくならないように合同墓地に埋葬して欲しいと願う老人。
そこに映ってあったのは、紛れもないこの国の現実。

と言うよりも、すぐそこに来ている自分自身の姿ではないかと思った。
この放送後、NHKに寄せられた反響はすごかったとのことだが、それは本当のことだろうと思う。それくらい現実すぎたのだから。

この無縁社会によって明らかになった無縁死(NHKの造語だが)と言う言葉、的を射た言葉であり、私のような人間にとって避けられないモノじゃないか、とすら思えてくるのだ。かつて、この言葉は孤独死と名付けられて世間一般に知られてきたが、孤独をさらに進んで孤独のみならず、家族はもとより社会とのかかわりをいっさいなくした上の孤独死であろう。そして、我々はあまりにも知らなさすぎることが多すぎる、と言うことにも気づかされた。

現在42歳の私は以前から言ってきたことがある。

『今、私が死んでも誰も気づかない』

とは言いつつも、私自身はテレビの中にあったような“繋がり”を絶っているわけではない。そういう意味ではおそらく無縁死ということにはならないのかもしれない、少なくとも今は。
数日間、私からの連絡が途絶えたらきっと私を見にやって来てくれる人がいる、それは今勤めている会社もそうだ。しかし、それらをすべて絶ってしまったとき私もあの3万2千人の一人になる可能性がある。

私は思う。
死というものはおそらく孤独だろう。
寝ているうちに突然死しても、病院で看取られながら死んでいったとしても。
それでも私は思う。
人とのつながりをなくしたまま死にたくはない。
どんなことがあっても、細くてもいいから人と繋がっていたいと。
そうすれば、無縁ではなくなるだろうから。

最後に、この番組を見て。

確かにネットという仮想の世界ではいろいろと繋がりがある。それもまた繋がりのひとつだが、生身の体と体、心と心が繋がっているとは言い難い。
だけど、今ならまだ仮想の世界の繋がりでも、きちんとしな繋がりになる手だてを見つけ出せるかもしれない。
そのためには、どうやって動くべきなのか、また動かなければならないのかをこの番組は投げかけたのではないかと私は思うのだ。
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